とうこう1

ナイチンゲール

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen
矢崎源九郎訳

 中国という国では、みなさんもごぞんじのことと思いますが、皇帝こうていは中国人です。それから、おそばにつかえている人たちも、みんな中国人です。さて、これからするお話は、もう今からずっとむかしにあったことですけれど、それだけに、かえって今お話しておくほうがいいと思うのです。なぜって、そうでもしておかなければ、忘れられてしまいますからね。
 皇帝の住んでいる御殿ごてんは、世界でいちばんりっぱな御殿でした。なにもかもが、りっぱな瀬戸物せともので作られていました。それには、ずいぶんお金がかかっていました。ただ、とってもこわれやすいので、うっかり、さわりでもすれば、たいへんです。ですから、みんなは、よく気をつけなければなりません。
 お庭には、世にもめずらしい花がきみだれていました。なかでも、いちばん美しい花には、銀のすずがゆわえつけてありました。その鈴は、たいそうよい音をたてて、リンリンと鳴りましたので、そのそばを通るときには、だれでも、つい、花のほうに気をとられるほどでした。
 ほんとうに、皇帝のお庭にあるものは、なにもかもが、さまざまの工夫くふうをこらしてありました。おまけに、そのお庭の広いことといったら、おどろいてしまいます。お庭の手入れをする植木屋でさえも、いったい、どこがお庭のおわりなのか、見当もつかないくらいだったのです。そのお庭をどんどん歩いて行くと、このうえもなく美しい森に出ました。そこには、高い木々がしげっていて、深い湖がいくつもありました。森は、青々とした深い湖の岸までつづいていて、木々のえだは水の上までひろがっていました。大きな船でも、をはったまま、その下を通ることができました。
 さて、その枝に、一羽いちわのナイチンゲールが住んでいました。その歌声は、ほんとうにすばらしいものでした。ですから、仕事にいそがしい、まずしい漁師でさえも、夜、あみをうちにでて、ナイチンゲールの歌声を耳にすると、思わず仕事の手をやすめてはじっと聞きいったものでした。
「ああ、なんというきれいな声だ!」と、漁師は言いました。けれども、また仕事にかからねばなりません。それで、鳥のことは、それなり忘れてしまいました。けれども、またつぎの晩、漁にでかけて、ナイチンゲールの歌を聞くと、漁師はまた同じように言うのでした。
「ああ、まったく、なんというきれいな声だ!」
 世界じゅうの国々から、旅行者が皇帝の都にやってきました。みんなは、御殿とお庭を見ると、そのすばらしさに、ただただおどろきました。ところが、ナイチンゲールの歌声を聞くと、
「ああ、これこそ、いちばんだ」と、口々に言いました。
 旅行者たちは、自分の国へ帰ると、さっそく、そのことを人に話しました。学者たちは、皇帝の都と、御殿と、お庭とについて、幾冊いくさつも幾冊も、本を書きました。もちろん、ナイチンゲールのことを、忘れるようなことはありません。それどころか、ナイチンゲールは、いちばんすぐれたものとされました。詩をつくることのできる人たちは、あの深い湖のほとりの森に住んでいるナイチンゲールについて、それはそれは美しい詩をつくりました。
 こういう本は、世界じゅうにひろまりました。ですから、そのうちのいくつかは、しぜんと皇帝の手にもはいりました。皇帝は、自分のきん椅子いすこしかけて、何度も何度も、くりかえし読みました。そして、ひっきりなしにうなずきました。それもそのはず、自分の都や、御殿や、お庭のことが、美しく書かれているのを読むのは、うれしいことにちがいありませんからね。
「しかし、なんといっても、ナイチンゲールが、いちばんすぐれている」と、そこには書いてありました。
「これは、なんじゃ?」と、皇帝は言いました。「ナイチンゲールじゃと? そのような鳥は、知らんわい! そんな鳥が、このわしの国にいるんじゃと? おまけに、わしの庭にいるそうじゃが。はて、わしは、まだ聞いたこともないが。本を読んで、はじめて知ったというわけか」
 そこで、皇帝は、侍従じじゅうを呼びました。この侍従は、たいそう身分の高い人でしたので、自分より位の低いものが、こわごわ話しかけたり、なにかたずねたりしても、ただ、「プー!」と答えるだけでした。むろん、この返事には、なんの意味もありません。
「わが国に、世にもめずらしい鳥がおるそうじゃな。ナイチンゲールとか、申すそうじゃが」と、皇帝は言いました。「なんでも、わが大帝国の中で、いちばんすぐれたものだということじゃ。なぜ今まで、わしに、そのことを、ひとことも申さなかったのか」
「わたくしは、今までに、そのようなもののことを、聞いたことがございません」と、侍従は申しました。「今日こんにちまで、そのようなものが、宮中に、まかりでたことはございません」
「今夜にも、さっそく、そのものを連れてまいって、わしの前でうたわせてみよ」と、皇帝は言いました。「世界じゅうのものが、知っておるというのに、わしだけが、自分のもっているものを知らんとは、あきれかえった話じゃ」
「わたくしは、いままでに、そのようなもののことを、聞いたこともございません」と、侍従は言いました。「ですが、かならず、そのものをさがしだし、見つけてまいります」
 でも、いったい、どこへいったら、見つかるのでしょう? 侍従は、階段という階段を、あがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下ろうかを走りまわったりしました。しかし、だれに出会っても、ナイチンゲールのことを聞いたという人はひとりもいないのです。それで、侍従は、また、皇帝のところへかけもどって、「おそらくそれは、本を書いた人たちの作り話にちがいございません」と、申しあげました。
陛下へいかが、書物に書かれておりますことを、すべて、お信じになりませぬよう、お願い申しあげます。なかには、いろいろの作りごともございますし、また、妖術ようじゅつなどといわれておりますようなものもございますので」
「だが、わしが読んだという本は」と、皇帝は言いました。「りっぱな、日本の天皇てんのうより、送られてきたものじゃ。それゆえ、うそいつわりの、書いてあろうはずがない。わしは、ぜがひでも、ナイチンゲールのうたうのを聞きたい。どうあっても、今夜、ナイチンゲールをここへ連れてまいれ。なにをおいても、いちばんかわいがってやるぞ。しかし、もしも連れてまいらぬときは、よいか、宮中の役人どもは、夕食のあとで、ひとりのこらず、腹をぶつことにいたすぞ」
「チン、ペー!」
 と、侍従は言って、またまた、階段をあがったり、おりたり、広間をかけぬけたり、廊下を走りまわったりしました。すると、宮中のお役人の半分もの人たちが、いっしょになってかけずりまわりました。だれだって、おなかをぶたれるのはいやですからね。こうして、世界じゅうの人々が知っているのに、宮中の人たちだけが知らない、ふしぎなナイチンゲールの捜索そうさくがはじまったのです。

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